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snowravine's diary

くだらないことばかりを喋りたい

木野/村上春樹 (心的債務バックレと再帰的債権回収)

「木野」は文藝春秋20142月号に掲載された村上春樹の短編である。

「女のいない男たち」シリーズで共通するように第3弾となる本作も、村上春樹の自伝的内容を含んだ内容となっている。
多くを望まないことと引き換えに穏やかで居心地の良い居場所を手に入れ、負った傷を慰撫されようとする中年男性が、否応なく外的トラブルに巻き込まれつつその実トラブルが自己の心性原因が引き起こしたものでその落とし前を付けるのは他でもなく自分であり自己との戦いであるというプロットは、その他の村上春樹著作でも多く描かれるテーマである。

 

妻の浮気をきっかけに別居・退職を経て、カフェ・バーの経営をはじめた木野は、その経営にも多くを望まず、「最初の一週間客は一人も来ない」「古き良き、しかし華やかさや時流とは無縁の店」「家賃を払うのにやっとの売上」「最初の常連客は野良猫」という状況で、木野はそれで十分と思う。

 

それは無欲さ、不作為村上春樹のいうデタッチメントを誘発する。

 

常連客カミタに対しては、外的きっかけがあるまではろくに会話もせず、名前も知らない。静かに本を読み、変わらないメニューを注文し、誰に迷惑をかけるでもないただ常連客と納得し、多くを探ろうとはしない。

 

蛇のように長い舌を持つ女性の常連客に対しては、何やらトラブルを抱えているらしいが、いざ女性がトラブルを明かそうとすると「そんなものに関与したくない」、見たくない、見るべきではないものと断ずる。
でありながら、木野はその蛇のような女性客と寝てしまう。

 

浮気し別居した妻についても、あるいは浮気相手についても怒りや恨みを覚えるわけでもなく「仕方ない」そんな目に遭うようにできている、もともと多くを求めていない、だから得るものが少なくて当然だ、自分にはカフェ・バーのような安らげて慰撫してくれる場所があればいい。

 

それは一見、無欲で慎ましく清貧で高潔な生活に思えるかもしれないが、そうではない。
彼は過ちを犯していないかも知れないが、すべきことをしていない、という不作為の債務を負っている。

 

彼は妻の謝罪にあった際にも「君は謝った、僕は受け入れた、ハイ終わり」「誰のせいでもない。僕が浮気を見つけなければよかった」と、まるで自分の心の動きに沿わず、感情を押し殺し、デタッチメントを優先させてしまう。関わりたくない、そっと安らいでいたい。本心は深く傷ついているにも関わらず。

 

灰色の猫は、その逃避を警告し、勇気を出して傷ついた心に向き合うことを促すように、妻との面会の間中、珍しく木野の膝に居座り喉を鳴らすが、木野は妻が新しく健康で幸福な生活を始めるのを見守るにとどまる。
木野は逃避している感覚はない。不干渉であれば、自分は多くを得ないが、誰にも迷惑をかけないと信じる。

 

そうした自分が負ったはずの傷からの逃避はある日、相応の報いとして取り分を回収しにやってくる。

 

危機の兆しは様々な形で啓示されていたが木野は無意識に逃避を続け、心的債務をふくらませていき、ある日それは決壊する。

 

そこから木野が何に追われ、救いの手段を啓示されていたにも関わらず、まるで童話「杜子春」のように、禁忌を犯し、いよいよもって「取り分を奪われて」いく。執拗に回収にやってきて、木野の部屋をノックし続ける者の正体は何か(誰)、自明だろう。

 

  なお本短編シリーズは毎作ブログに書こうと思ったが第2弾の「イエスタデイ」は単なる自伝的青春耽溺に思われ、美しくあるのかも知れないが、あまり感じるところがなかったのでやめた。何か表層からは読み取れない深みがあったのかもしれないが、自分には思うことはなかった。