snowravine's diary

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映画『ハンナ・アーレント』

神保町・岩波ホールで映画『ハンナ・アーレント』を見た。

ハンナ・アーレントは戦後のユダヤ人思想家で、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害により収容所に収容され、ガス室へ移送される前に脱出した経歴を持つ。
ユダヤ人大量虐殺いわゆるホロコーストの主導的幹部であるアドルフ・アイヒマンがイスラエルで捉えられ、エルサレムで行われた戦争犯罪人としての裁判に、ハンナ・アーレントは雑誌取材の立場で傍聴する。
600万人を虐殺したとも言われる巨悪の男、アドルフ・アイヒマンが被告人として語ったのは、民族的な差別意識も、憎悪も侮蔑もない、ただ命ぜられた業務を恐ろしく効率良く遂行するだけのオペレーターとしての言葉だった。
(ちなみにこの裁判シーンは、実際に行われた実録動画が使われており、検事や裁判官とのやりとり、 ユダヤ人証言者が感情を爆発させる姿などが生々しく映しだされる。必見である)
 
ハンナ・アーレントはそこに思考停止した「凡人」の「無意識の悪」を見、傍聴記録として「悪の陳腐さについての報告」を出版する。
根 源的な悪、例えば他人殺害、他民族滅殺の遂行が組織において自分の任務になったときそれについて何らの思考・判断・評価・決定をせず、ただ組織内の保身や 出世だけを動機として命ぜられたまま実行してしまう者の姿に、こうした陳腐な凡人が無意識に遂行することが最も悪である、とハンナ・アーレントは訴える。
映 画『ハンナ・アーレント』は、この出版物の中の、収容されたユダヤ人の一部の者がSS(ナチスドイツ親衛隊)に擦り寄り、ユダヤ人の指導者の立場で“任 務”遂行に協力した、という記述を発端に、ハンナ・アーレントが世界のユダヤ人やイスラエルから猛烈な抗議を受け、あるいはアイヒマンを擁護している、ユ ダヤ人を侮蔑しているといった誹謗中傷を受け、その直情かつ硬直的な反応への疲労や諦念、そして改めて自分の主張を繰り返す姿を追いながら終わる。

本 映画で描かれるように、思考することこそが人間の条件であり、思考能力を失ったアイヒマンのような者は本質的にもはや「人間」ではない、そのような者が犯 す罪こそが最も悪だ、と主張したにも関わらず、全く思考の痕跡のない直情的な誹謗中傷を当の同胞であるユダヤ人から受けるのは大いに皮肉であり、またハン ナの主張を図らずも裏付けてしまっている。ハンナは深く葛藤するが、自分の存在を証明するかのように思考を続ける。ハンナ・アーレントは後日、「人間の条 件」という書籍を出版する。

自分は仲正昌樹の「今こそアーレントを読み返す」 という新書を読んだことがありハンナ・アーレントの境遇やハイデガーからの薫陶、思想の経緯・推移を浅くではあるが理解していて映画の内容もすんなりと理 解することができた。この本は仲正氏の筆致が素晴らしく難解と言われるアーレントを分かりやすく説明しており、映画を見る前に読んでおくと一層映画が楽し める。