snowravine's diary

くだらないことばかりを喋りたい

X100TにテレコンTCL-X100を装着

X100Tの画角は35mm。スナップには丁度いいものの、少し画面上のテーマを絞り込みたいときに、テレコンが欲しくなるだろうことは自分で分かっていたのでX100Tと同時に購入しました。

TCL-X100を装着すると、倍率約1.4倍の33mm(35mm判換算50mm相当)になります。

 

公式の紹介ページはこちら

テレコンバージョンレンズ TCL-X100 | 富士フイルム

  • FUJINONレンズ設計者による純正
  • 富士フィルム コーティング技術 EBCが施されている
  • F2.0を維持できる
  • TCL-X100用の歪曲・収差等の補正メニューがX100Tに用意されている
  • シルバー、ブラックの2色が用意されている

こんな感じです。f:id:snowravine:20160417115058j:plainf:id:snowravine:20160417115227j:plain

フィルター径は67mm。私はそこまで物を持ち歩きたくないのでテレコン用のフィルターまでは用意しませんが。

後玉。f:id:snowravine:20160417115507j:plain

 

X100Tに付けます。

レンズのフロントリングを外して

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ねじ切りで付けます。

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装着すると、こんな感じになります。

 

カメラ側の準備

最適な補正をしてもらうためにカメラ側で今からテレコンを使うぞ、と設定します。

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ファインダーはどうなる?

私はX100TではEVFしか使っていません。ので、ああ、50mmの画角だ、と思うだけですが、OVFに切り替えたときには、フードを付けている方にはお馴染みの、ファインダー内右下にテレコンが映り込むあの光景が盛大に展開されます。

私は気が散ってしまうので、EVFのみを使います。EVFであれば、テレコンもフードも気になりません。この辺りは好みだと思います。

 

いいから作例を見せろよ

新宿

 

新宿

 いや、テレコン付けてない画像との比較を載せなきゃ意味ねえだろ

→ごもっともですが、用意してません(´・ω・`)

 

flickrにアップしてみると、レンズ画角はしっかり33mmで反映されてますね。

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 ということで中々、期待に違わぬレンズでした。ちょっと、かさばりますがね。

 

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X100Tを購入

 

 

 

ということで中古をマップカメラで購入。マップカメラの下取買い取りサービスは便利ですね。

 

早速、表参道に用があったのでテスト撮影。表参道はフォトジェニックな街でオッとカメラを向けたくなるポイントが多いです。

 

bldg.www.flickr.com

 

wallwww.flickr.com

 

dior storewww.flickr.com

 

X20以来のFUJIFILM機、単焦点換算35mmの画角、ファインダー、露光、フィルムシミュレーションなど、α6000とは何もかも違います(当たり前)。

あと期待したより少し重い。α6000より明らかにズッシリ感じます、が全然、許容範囲ですね。

気に入ったので、あれこれアクセサリーを買い足してます。

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早く、ワイコンをつけた撮影してみたいですね。

 

 

写ルンですで、さくら2016

写ルンですを使った撮影ブログの雰囲気がとても良かった。

 

niko.hateblo.jp

 

ので、真似して買ってみました。Amazonで、1,000円弱。

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驚くほど軽くてコンパクトです。調べたら159gくらい。 スマホくらいですかね。

  

 

近所の神田川の桜が満開だったので一枚。

縦位置で、両側から垂れた桜にフォーカスを合わせて

さくら

トリミングと、あと円形のチルトシフトをかけています。

フィルムだからなのか、心なしか立体感があるように感じますし、なんとも言えない、味わいがあるようにも。

 

撮影はそれなりにコツが必要で楽しい

写ルンですは、ズームもできませんし、フォーカスリングもありません(当たり前だ)。ひたすら自分の足で動き、ファインダー(覗き穴)からレンズのフォーカス部分を、写したいものに合わせる必要があります。レンズは周辺が魚眼レンズっぽく歪むのでついつい日の丸構図に。その、必死でアングルや焦点距離を調整する作業が楽しい。

 

「どう写ったのか?」確認できなくて楽しい

デジカメやスマホと違って、「どう写ったのか?」を液晶モニタで確認することは勿論できません。現像されてくるまでは結果が確認できない、テストの答案用紙を提出するのと同じ感覚です。「今の、どう撮れたんだろうね?」というので連れとワァワァ盛り上がったりします。

昔のフィルムカメラ全盛の時代は、これが当たり前だったんですよね、今更ですが気付かされます。

 

撮影枚数に限度があるのが楽しい

これもオツですね。39枚って半日くらい、あちこち周りながら撮るのにちょうどいいです。24枚だと、慎重になりすぎるかも。

 

データ化の工程が楽しい

カメラのキタムラに持って行き、現像だけ(プリントしない)で、データCDを欲しいと伝えると、1,000円くらいでやってくれました。所要時間は1時間くらいなので、喫茶店でお茶してたらすぐですね。

引き取りに行くと、CDと、ネガフィルムを渡してくれます。ネガフィルムなんて触るのは20年ぶりくらいで、懐かしくて嬉しくなります。

撮影済みの写ルンですを送ったら、dropboxgoogle driveに放り込んでくれるサービスなんか誰かがやってくれたらいいですが、自分がそのサービスをやる立場になったことを想像すると、ちょっとコストがペイしないですね。

 

まとめると

  • 写ルンですで撮ると、フィルムならではの雰囲気の良い写真が気軽に撮れる!
  • 写ルンですを一個持ってでかけると一日楽しい!盛り上がる! 
  • 写ルンです本体と現像も含めて2,000円くらいで楽しめる!

またムズムズしたら、写ルンですを買って出かけようと思います。

sony α6000で田町〜品川

sony α6000は完成度が高く、価格も手頃なデジタルカメラである。

通勤カバンにカメラを突っ込んで、気が向いたら撮影したい、かつ画質にもちょっとは拘りたいという、私のような人間にはうってつけだ

 

田町の三菱自動車ショールーム

cars.jpg

品川港南のフレア品川

shinagawa sta.jpg

写真はlightroom5にて編集
レンズはシグマの19mm f2.8 dnで、そのプロファイルを当てている。

木野/村上春樹 (心的債務バックレと再帰的債権回収)

「木野」は文藝春秋20142月号に掲載された村上春樹の短編である。

「女のいない男たち」シリーズで共通するように第3弾となる本作も、村上春樹の自伝的内容を含んだ内容となっている。
多くを望まないことと引き換えに穏やかで居心地の良い居場所を手に入れ、負った傷を慰撫されようとする中年男性が、否応なく外的トラブルに巻き込まれつつその実トラブルが自己の心性原因が引き起こしたものでその落とし前を付けるのは他でもなく自分であり自己との戦いであるというプロットは、その他の村上春樹著作でも多く描かれるテーマである。

 

妻の浮気をきっかけに別居・退職を経て、カフェ・バーの経営をはじめた木野は、その経営にも多くを望まず、「最初の一週間客は一人も来ない」「古き良き、しかし華やかさや時流とは無縁の店」「家賃を払うのにやっとの売上」「最初の常連客は野良猫」という状況で、木野はそれで十分と思う。

 

それは無欲さ、不作為村上春樹のいうデタッチメントを誘発する。

 

常連客カミタに対しては、外的きっかけがあるまではろくに会話もせず、名前も知らない。静かに本を読み、変わらないメニューを注文し、誰に迷惑をかけるでもないただ常連客と納得し、多くを探ろうとはしない。

 

蛇のように長い舌を持つ女性の常連客に対しては、何やらトラブルを抱えているらしいが、いざ女性がトラブルを明かそうとすると「そんなものに関与したくない」、見たくない、見るべきではないものと断ずる。
でありながら、木野はその蛇のような女性客と寝てしまう。

 

浮気し別居した妻についても、あるいは浮気相手についても怒りや恨みを覚えるわけでもなく「仕方ない」そんな目に遭うようにできている、もともと多くを求めていない、だから得るものが少なくて当然だ、自分にはカフェ・バーのような安らげて慰撫してくれる場所があればいい。

 

それは一見、無欲で慎ましく清貧で高潔な生活に思えるかもしれないが、そうではない。
彼は過ちを犯していないかも知れないが、すべきことをしていない、という不作為の債務を負っている。

 

彼は妻の謝罪にあった際にも「君は謝った、僕は受け入れた、ハイ終わり」「誰のせいでもない。僕が浮気を見つけなければよかった」と、まるで自分の心の動きに沿わず、感情を押し殺し、デタッチメントを優先させてしまう。関わりたくない、そっと安らいでいたい。本心は深く傷ついているにも関わらず。

 

灰色の猫は、その逃避を警告し、勇気を出して傷ついた心に向き合うことを促すように、妻との面会の間中、珍しく木野の膝に居座り喉を鳴らすが、木野は妻が新しく健康で幸福な生活を始めるのを見守るにとどまる。
木野は逃避している感覚はない。不干渉であれば、自分は多くを得ないが、誰にも迷惑をかけないと信じる。

 

そうした自分が負ったはずの傷からの逃避はある日、相応の報いとして取り分を回収しにやってくる。

 

危機の兆しは様々な形で啓示されていたが木野は無意識に逃避を続け、心的債務をふくらませていき、ある日それは決壊する。

 

そこから木野が何に追われ、救いの手段を啓示されていたにも関わらず、まるで童話「杜子春」のように、禁忌を犯し、いよいよもって「取り分を奪われて」いく。執拗に回収にやってきて、木野の部屋をノックし続ける者の正体は何か(誰)、自明だろう。

 

  なお本短編シリーズは毎作ブログに書こうと思ったが第2弾の「イエスタデイ」は単なる自伝的青春耽溺に思われ、美しくあるのかも知れないが、あまり感じるところがなかったのでやめた。何か表層からは読み取れない深みがあったのかもしれないが、自分には思うことはなかった。

 

ドライブ・マイ・カー/村上春樹 (ある初老俳優のパラノイア)

「ドライブ・マイ・カー」は文藝春秋2013年12月号に掲載された村上春樹の短編である。

女優の妻を結婚20年にして病死で喪った五十歳過ぎの俳優・家福が、
諸事情で愛車・サーブ900コンパチの運転手が必要になり、ドライバー・みさきをアサインする。
女性としての美しさや愛嬌は皆無なみさきだったが、その確かな運転技術と車の奥底まで掌握するようなギア・チェンジの精緻さに家福は助手席で久方のリラックスする感覚を覚える。そして口数少ないが痛みを負った人間の暖かさを持つみさきに、少しずつ心情を吐露していく。

二枚目俳優・高槻と妻との浮気に気づいていた家福だが家庭では気づいていない”演技”を続けていた最中、妻は子宮の病に倒れ入院し、やがて亡くなる。自分には妻を満たせず、高槻が満たせたものとは何か、家福は静かに苦悩したまま妻を喪う。浮気相手・高槻と友人を”演じた”交友しはじめ、その答えを探す。

この物語のテーゼは男性の独占欲からくる偏執愛に集約されると思われる。
美しく何らの欠点もなく20年連れ添う妻と、12年10万キロを共にし「個人的な愛着を持つ」サーブ900は、ここでは家福が自分のものとして意識するという意味で同列の存在である。計り知れない部分もありながら、長年を共にしまるで自らの一部であるかのように愛するものたち。

タイトルの「ドライブ・マイ・カー」は勿論ビートルズの楽曲”drive my car”からきており、その歌詞では
”baby you can drive my car, and maybe I’ll love you.”と歌われる。
反意も含めて言えば、「僕のものを見事扱ってみなよ、それが出来たら認めてあげる」という意識を歌った歌であるとも言える。

その意味でいうと、自分のものであるサーブ900と、そして妻。自分の愛するこれらのものを見事扱ったなら、操者として認めてあげるというパラノイアの物語である。

サーブ900の運転手であるみさきは、さりげなく”美しくない”、”愛想がない”と下げた状態で出会いながら初めての運転からサーブを見事に操作するみさきの技術と車への造詣に、家福は”操者”として自分の愛するサーブ900を扱う器量を持つ者として認め、自らの心を開いてゆく。

対して、みさきへの語られる、高槻という男に関しては、”大した男ではない”、”おまえにそんなことは分からない”、”分かりやすい男”、”酒に溺れる男”、つまり深みの無い男、中身のない男としての辛辣な評価が下される。
そんな下らない男のどこに妻は魅力を感じ、浮気をして抱かれたのか? 家福は高槻への社会的処刑を決意するほどの屈辱を感じる。お前みたいな下らない男が、俺のものに触れるな、手を出すな、と。

何度となく友人として酒の席をともにし、酒にのまれる高槻が失点を晒す機会を伺う家福だがとある会話から、高槻の中にイノセントな誠実さと、彼の精一杯の深みから紡がれた、一定の力を持つ言葉を聞く。
下らないと思っていた男の奥底から、家福の心底に到達する程の言葉が一言、溢れでたのだ。

その酒席以降、家福は高槻に一切会うのをやめる。高槻から誘いがあっても無視する。
つまり、高槻は認められた、のだ。もう高槻に会い、俺のものである妻の操者としての資格を問う必要がなくなったからだ。

とはいえ傷ついた男のプライドは、みさきの放つ”女性を演じた”次の言葉で回復する。
「奥さんはその人に、心なんて惹かれていなかったんじゃないですか」
「だから寝たんです」
「女の人にはそういうところがあるんです」


みさきは、家福の操者だったのである。


baby you can drive my car, and maybe I’ll love you.

 

文藝春秋2013年12月号 | 最新号 - 文藝春秋WEB

映画『ハンナ・アーレント』

神保町・岩波ホールで映画『ハンナ・アーレント』を見た。

ハンナ・アーレントは戦後のユダヤ人思想家で、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害により収容所に収容され、ガス室へ移送される前に脱出した経歴を持つ。
ユダヤ人大量虐殺いわゆるホロコーストの主導的幹部であるアドルフ・アイヒマンがイスラエルで捉えられ、エルサレムで行われた戦争犯罪人としての裁判に、ハンナ・アーレントは雑誌取材の立場で傍聴する。
600万人を虐殺したとも言われる巨悪の男、アドルフ・アイヒマンが被告人として語ったのは、民族的な差別意識も、憎悪も侮蔑もない、ただ命ぜられた業務を恐ろしく効率良く遂行するだけのオペレーターとしての言葉だった。
(ちなみにこの裁判シーンは、実際に行われた実録動画が使われており、検事や裁判官とのやりとり、 ユダヤ人証言者が感情を爆発させる姿などが生々しく映しだされる。必見である)
 
ハンナ・アーレントはそこに思考停止した「凡人」の「無意識の悪」を見、傍聴記録として「悪の陳腐さについての報告」を出版する。
根 源的な悪、例えば他人殺害、他民族滅殺の遂行が組織において自分の任務になったときそれについて何らの思考・判断・評価・決定をせず、ただ組織内の保身や 出世だけを動機として命ぜられたまま実行してしまう者の姿に、こうした陳腐な凡人が無意識に遂行することが最も悪である、とハンナ・アーレントは訴える。
映 画『ハンナ・アーレント』は、この出版物の中の、収容されたユダヤ人の一部の者がSS(ナチスドイツ親衛隊)に擦り寄り、ユダヤ人の指導者の立場で“任 務”遂行に協力した、という記述を発端に、ハンナ・アーレントが世界のユダヤ人やイスラエルから猛烈な抗議を受け、あるいはアイヒマンを擁護している、ユ ダヤ人を侮蔑しているといった誹謗中傷を受け、その直情かつ硬直的な反応への疲労や諦念、そして改めて自分の主張を繰り返す姿を追いながら終わる。

本 映画で描かれるように、思考することこそが人間の条件であり、思考能力を失ったアイヒマンのような者は本質的にもはや「人間」ではない、そのような者が犯 す罪こそが最も悪だ、と主張したにも関わらず、全く思考の痕跡のない直情的な誹謗中傷を当の同胞であるユダヤ人から受けるのは大いに皮肉であり、またハン ナの主張を図らずも裏付けてしまっている。ハンナは深く葛藤するが、自分の存在を証明するかのように思考を続ける。ハンナ・アーレントは後日、「人間の条 件」という書籍を出版する。

自分は仲正昌樹の「今こそアーレントを読み返す」 という新書を読んだことがありハンナ・アーレントの境遇やハイデガーからの薫陶、思想の経緯・推移を浅くではあるが理解していて映画の内容もすんなりと理 解することができた。この本は仲正氏の筆致が素晴らしく難解と言われるアーレントを分かりやすく説明しており、映画を見る前に読んでおくと一層映画が楽し める。